道德经 / 老子道徳経 — на китайском и японском языках. Страница 2

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老子

道德经

老子

老子道徳経

五十一章

五十一章

道生之,德畜之,物形之,势成之。是以万物莫不尊道而贵德。道之尊,德之贵,夫莫之命而常自然。故道生之,德畜之,长之育之,成之熟之,养之覆之。生而不有,为而不恃,长而不宰,是谓玄德。

道はこれを生じ、德はこれを畜ひ、物はこれを形し、勢はこれを成すなり。是を以て、萬物は道を尊び、德を貴ばざるはなきなり。道の尊き、德の貴きは、それこれを爵することなくして、而も常に自から然るなり。故に、道はこれを生じ、德はこれを畜ひ、これを長じ、これを育し、これを成し、これを熟し、これを養ひ、これを覆ふなり。生ずるも有せず。為すも恃まず。長ずるも宰せず。これを玄德と謂ふ。

五十二章

五十二章

天下有始,以为天下母。既知其母,又知其子。既知其子,复守其母。没身不殆。塞其兑,闭其门。终身不勤。开其兑,济其事,终身不救。见小曰明,守柔曰强。用其光,复归其明,无遗身殃,是谓习常。

天下に始ありて、以て天下の母たり。旣にその母を得て、以てその子を知り、復してその母を守らば、身を沒するも殆からざるなり。その兌を塞ぎ、その門を閉づれば、身を終るとも勤れず。その兌を開き、その事を濟さば、身を終るとも救はれざるなり。小を見るを明と曰ひ、柔を守るを强と曰ふ。その光を用ふるも、その明に復歸すれば、身に殃を遺󠄃すことなし。これを襲常と謂ふなり。

五十三章

五十三章

使我介然有知,行于大道,唯施是畏。大道甚夷,而人好俓。朝甚除,田甚芜,仓甚虚,服文彩,带利剑,厌饮食,财货有余,是谓盗夸。非道也哉!

我をして介然として知どることありて、大道󠄃を行はしめんとするも、ただ施なるをこれ畏る。大道󠄃は甚だ夷かなるも、而も民は徑を好むなり。朝󠄃は甚だ除し、田は甚だ蕪れ、倉は甚だ虛し。文󠄃綵を服し、利劍を帶び、飮食󠄃に厭き、財貨󠄃は余り有り。これを盜竽と謂ふ。非道󠄃なるかな。

五十四章

五十四章

善建者不拔,善抱者不脱,子孙祭祀不辍。修之身,其乃德真;修之家,其德有余;修之乡,其德乃长;修之于国,其德乃丰;修之于天下,其德乃普。故以身观身,以家观家,以乡观乡,以国观国,以天下观天下。吾何以知天下之然?以此。

善く建󠄄つるものは抜けず、善く抱󠄃くものは脫せず。子孫は以て祭祀して輟まず。これを身に修むれば、その德は乃ち眞󠄃。これを家に修むれば、その德は餘あり。これを鄕に修むれば、その德は乃ち長し。これを國に修むれば、その德は乃ち豐かなり。これを天下に修むれば、その德は乃ち普し。故に、身を以ては身を觀、家を以ては家を觀、鄕を以ては鄕を觀、國を以って國を觀、天下を以ては天下を觀る。吾何を以て天下の然ることを知るや。これを以てなり。

五十五章

五十五章

含德之厚,比于赤子。毒虫不螫,猛兽不据,玃鸟不搏。骨弱筋柔而握固。未知牝牡之合而朘作,精之至。终日号而不嗄,和之至。知和曰常,知常曰明,益生曰祥,心使气曰强。物壮则老,谓之不道,不道早已。

含德の厚きは、赤子に比す。毒蟲も螫さず、猛獸も據らず、攫鳥も搏たず。骨は弱󠄃く筋は柔らかにして、而も握ることは固し。いまだ牝牡の合ふことを知らざるも、而も䘒の作るは、精の至りなり。終日號べども、而も嗌の嗄れざるは、和の至りなり。和を知るを常と曰ひ、常を知るを明と曰ひ、生を益すを祥と曰ひ、心の氣を使ふを强と曰ふ。物は壯なれば則ち老ゆ。これを不道と謂ふ。不道なれば早く已なり。

五十六章

五十六章

知者不言,言者不知。塞其兑,闭其门,挫其锐,解其忿,和其光,同其尘,是谓玄同。故不可得而亲,不可得而疏;不可得而利,亦不可得而害,不可得而贵,亦不可得而贱。故为天下贵。

知る者は言はず、言ふ者は知らざるなり。その兌を塞ぎ、その門を閉ぢ、その銳を挫き、その紛を解き、その光を和げ、その塵に同じくす。これを玄同と謂ふ。故に、得て親むべからず。また得て疎んずべからず。得て利すべからず。また得て害すべからず。得て貴くすべからず。また得て賤くすべからず。故に、天下の貴となるなり。

五十七章

五十七章

以正治国,以奇用兵,以无事取天下。吾何以知其然?以此。天下多忌讳,而人弥贫;人多利器,国家滋昏;人多伎巧,奇物滋起;法物滋彰,盗贼多有。故圣人云:‘我无为,人自化;我好静,人自正;我无事,人自富;我无欲,人自朴。’

正を以ては國を治め、奇を以ては兵を用ふ。無事を以ては天下を取るなり。吾は何を以てその然るを知るや。これを以てなり。天下に忌諱を多くすれば、而も民はいよいよ貧し。民に利器を多くすれば、國家はますます昏し。人に技巧を多くすれば、奇物はますます起る。法令ますます彰かにならば、盜賊はあること多し。故に、聖人は云ふ、「我は無爲なるも、而も民は自から化す。我は靜を好むも、而も民は自から正しし。我は無事なるも、而も民は自ら富む。我は無欲なるも、而も民自ら朴なり。」と。

五十八章

五十八章

其政闷闷,其人醇醇;其政察察,其人缺缺。祸,福之所倚;福,祸之所伏。熟知其极?其无正。政复为奇,善复为妖。人之迷,其日固久。是以圣人方而不割,廉而不害,直而不肆,光而不曜。

その政悶悶なれば、その民は醇醇たらん。その政察察たれば、その民は缺缺たらん。禍󠄃は福󠄃の倚る所󠄃にして、福󠄃は禍󠄃いの伏する所󠄃なり。孰かその極を知らんや。それ止ることなきなり。正は復すれば奇となり、善は復すれば妖となる。人の迷ふや、その日固に久し。是を以て、聖人は方なれど割かず、廉󠄃なれども劌らず、直なれども肆ならず、光あれども耀かざるなり。

五十九章

五十九章

治人事天,莫若啬。夫唯啬,是谓早服。早服谓之重积德。重积德则无不克,无不克则莫知其极。莫知其极,可以有国。有国之母,可以长久。是谓深根、固蔕、长生、久视之道。

人を治め天に事ふるには、嗇にしくはなし。それただ嗇なる、これを早復と謂ふ。早復は、これを重積德と謂ふ。重積德なれば、則ち剋せざることなし。剋せざることなければ、則ちその極を知ることなし。その極を知ることなければ、以て國を有つべし。國を有つの母は、以て長久なるべし。これを深根固蒂󠄁、長生久視󠄃之道と謂ふなり。

六十章

六十章

治大国若亨小鲜。以道莅天下,其鬼不神。非其鬼不神,其神不伤人。非其神不伤人,圣人亦不伤人。夫两不相伤,故得交归。

大國を治むるは、小鮮を烹るがごとし。道を以て天下に莅めば、その鬼も神󠄃ならず。その鬼の神󠄃ならざるのみにはあらず、その神󠄃も人を傷らず。その神󠄃も人を傷らざるのみにはあらず、聖󠄃人もまた人を傷らざるなり。それ兩ながら相傷らず。故に德は交歸するなり。

六十一章

六十一章

大国者下流,天下之交,天下之牝。牡常以静胜牝,以静为下。故大国以下小国,则取小国;小国以下大国,则取大国。故或下以取,或下如取。大国不过欲兼畜人,小国不过欲入事人。此两者各得其所欲,大者宜为下。

大國は下流にして、天下の交なり。天下の牝なり。牝は常に靜を以て牡に勝󠄃つ。靜を以て下ることをなすなり。故に、大國以て小國に下れば、則ち小國を取り、小國は以て大國に下れば、則ち大國を取らる。故に、或は下りて以て取り、或は下りて而も取らる。大國は人を兼󠄄ね畜はんと欲するに過ぎず。小國は入りて人に事へんと欲するに過ぎず。それ兩者は、おのおのその欲する所󠄃を得るなり。故に、大なるものは宜しく下ることをなすべし。

六十二章

六十二章

道者,万物之奥。善,人之宝;不善,人之所不保。美言可以市尊,行可以加人。人之不善,何弃之有?故立天子,置三公,虽有拱璧以先驷马,不如坐进此道。古之所以贵此道者何?不曰求以得,有罪以勉,故为天下贵。

道は萬物の奧、善人の寶、不善人の保つ所󠄃なり。美言は以て市るべく、尊行は以て人に加ふべし。人の不善なる、何の棄つることかこれあらん。故に、天子を立て、三公を置くなり。拱璧の以て駟馬に先だつことありと雖も、坐がらにしてこの道を進むには如かず。古のこの道を貴ぶ所󠄃以のものは何ぞや。求むれば以て得、罪あるも以て免󠄄ると曰はずや。故に、天下の貴となるなり。

六十三章

六十三章

为无为,事无事,味无味。大小多少,报怨以德。图难于易,为大于细。天下难事,必作于易;天下大事,必作于细。是以圣人终不为大,故能成其大。夫轻诺必寡信,多易必多难,是以圣人犹难之,故终无难。

無爲を爲し、無事を事とし、無味を味ひ、小を大とし、少を多とし、怨に報ゆるに徳を以てす。難󠄄をその易に圖り、大をその細になす。天下の難󠄄事は必ず易より作り、天下の大事は、必ず細より作る。是を以て、聖人は終に大をなさず。故に、能くその大をなすなり。それ輕諾は必ず寡信にして、多易は必ず多難󠄄なり。是を以て、聖人すら猶ほこれを難󠄄しとす。故に、終に難󠄄きことなきなり。

六十四章

六十四章

其安易持,其未兆易谋,其脆易破,其微易散。为之于未有,治之于未乱。合抱之木,生于毫末;九层之台,起于累土;千里之行,始于足下。为者败之,执者失之。是以圣人无为,故无败;无执,故无失。民之从事,常于几成而败之。慎终如始,则无败事。是以圣人欲不欲,不贵难得之货;学不学,复众人之所过。以辅万物之自然而不敢为。

その安きは持し易く、その未だ兆さざるは謀り易く、その脆きは破り易く、その微なるは散じ易し。これを未だ有らざるになし、これを未だ亂れざるに治む。合抱の木も、毫末より生じ、九層󠄃の臺も、累土より起り、千里の行も、足下より始まるなり。爲す者はこれを敗り、執る者はこれを失ふ。聖人は爲すことなし。故に敗るることなし。執ることなし。故に、失ふこと無し。民の事に從ふや、常にほとんど成らんとするに於て、これを敗る。終を愼しむこと始の如くなれば、則ち敗るることなきなり。是を以て、聖人は欲せざるを欲して、得難きの貨を貴ばず。學ばざるを學びて、衆人の過ぐる所に復にし、以て萬物の自然を輔けて、敢て爲さざるなり。

六十五章

六十五章

古之善为道者,非以明人,将以愚之。民之难治,以其多智。以智治国,国之贼;不以智治国,国之福。知此两者,亦揩式。常知揩式,是谓玄德。玄德深远,与物反,然后乃至大顺。

古の善く道を爲むる者は、以て民を明かにするにはあらず。將に以てこれを愚にせんとするなり。民の治め難きは、その智の多きを以てなり。智を以て國を治むるは、國の賊なり。智を以て國を治めざるは、國の福󠄃なり。この兩者を知るは、また楷式なり。常に楷式を知るは、これを玄德と謂ふ。玄德は深し遠し。物とは反せり。乃ち大順に至るなり。

六十六章

六十六章

江海所以能为百谷王,以其善下之,故能为百谷王。是以圣人欲上人,必以言下之;欲先人,必以身后之。是以圣人处上而人不重,处前而人不害,是以天下乐推而不厌。以其不争,故天下莫与之争。

江海󠄃のよく百谷の王たる所󠄃以のものは、そのよくこれに下るを以てなり。故に、よく百谷の王となるなり。是を以て、聖人は民に上たらんと欲せば、必ず言を以てこれに下り、民に先だたんと欲せば、必ず身を以てこれに後るるなり。是を以て聖人は、聖人は上に處るも、而も民は重しとせず、前に處るも、而も民は害とせざるなり。是を以て、天下は推すことを樂しみて、而も厭はず。その爭はざるを以ての故に、天下はよくこれと爭うことなきなり。

六十七章

六十七章

天下皆谓我大,不肖。夫唯大,故不肖。若肖,久矣其细!我有三宝,持而宝之:一曰慈,二曰俭,三曰不敢为天下先。夫慈,故能勇;俭,故能广;不敢为天下先,故能成器长。今舍慈且勇,舍俭且广,舍后且先,死矣。夫慈,以战则胜,以守则固。天将救之,以慈卫之。

天下はみな我を大なれども不肖󠄃に似たりと謂ふも、それただ大なるが故に、不肖󠄃に似たるなり。もし肖󠄃ならば、久しきかなその細なること。我に三寶あり。寶としてこれを持す。一に曰く〔ママ〕慈。二に曰く、儉。三に曰く、敢て天下の先とならざること。慈なるが故に、よく勇なり。儉なるが故に、よく廣し。敢て天下の先とならざるが故に、よく成器󠄃の長たり。今は慈を捨󠄃ててまさに勇ならんとし、儉を捨󠄃ててまさに廣からんとし、後たることを捨󠄃ててまさに先たらんとす。死なるかな。それ慈は以て戰へば則ち勝ち、以て守れば則ち固し。天はまさにこれを救ひ、慈を以てこれを衞らんとす。

六十八章

六十八章

古之善为士者不武,善战者不怒,善胜敌者不争,善用仁者为下。是谓不争之德,是以用人之力,是谓配天古之极。

善く士たる者󠄃は、武からず。善く戰ふ者󠄃は、怒らず。善く敵に勝󠄃つ者󠄃は、爭はず。善く人を用ふる者󠄃は、下となる。是を爭はざるの徳と謂ふ、是を人を用ふるの力と謂ふ、是を天に配すと謂ふ。古の極なり。

六十九章

六十九章

用兵有言:‘吾不敢为主而为客,不敢进寸而退尺。’是谓行无行,攘无臂,仍无敌,执无兵。祸莫大于轻敌,轻敌几丧吾宝。故抗兵相加,则哀者胜。

兵を用ふるに言へることあり。吾は敢て主とならずして、而も客となり、敢て寸を進めずして、而も尺を退くと。是を行くに行なく、攘ぐるに臂なく、扔くに敵なく、執るに兵なしと謂ふ。禍は敵を輕んずるより大なるはなし。敵を輕んずるは、吾が寶を喪ふに幾し。故に、兵を抗げて相加ふるに、哀む者は勝つなり。

七十章

七十章

吾言甚易知,甚易行。天下莫能知,莫能行。言有宗,事有君。夫唯无知,是以不我知。知我者希,则我者贵。是以圣人被褐怀玉。

吾が言ふことは、甚だ知りやすく、甚だ行ひやすきに、天下よく知ることなく、よく行ふことなし。言には宗あり。事には君あり。それただ無知なり。是を以て、我を知らざるなり。我を知るもの希なれば、則ち我は貴し。是を以て、聖人は褐󠄃を被るも玉を懷くなり。

七十一章

七十一章

知不知上,不知知,病。是以圣人不病。以其病病,是以不病。

知りて知らずとするは上にして、知らずして知るとするは病なり。それただ病を病とす。是を以て、病ならず。聖人の病ならざるは、その病を病とするを以てなり。是を以て、病ならず。

七十二章

七十二章

民不畏威,大威至。无狭其所居,无厌其所生。夫唯不厌,是以不厌。是以圣人自知不自见,自爱不自贵。故去彼取此。

民威を畏れざれば、大威は至らん。その居るところを狹しとすることなかれ。その生とするところを厭ふことなかれ。それただ厭はず。是を以て、厭はざるなり。是を以て、聖人は自から知れるも、自からを見はさず。自から愛するも、自からを貴しとせざるなり。故に、彼を去りて此を取る。

七十三章

七十三章

勇于敢则杀,勇于不敢则活,知此两者或利或害。天之所恶,孰知其故?天之道,不争而善胜,不言而善应,不召而自来,坦然而善谋。天网恢恢,疏而不漏。

敢に勇なれば則ち殺。不敢に勇なれば則ち活。この兩者は、或は利にして、或は害なり。天の惡む所󠄃、孰かその故を知らんや。是を以て、聖人も猶󠄄ほこれを難しとするがごとし。天の道は、爭はずざるも、而も善く勝ち、言はざるも、而も善く應じ、召かざるも、而も自ら來り、繟然たるも、而も善く謀るなり。天網は恢恢なれば、疎なるも而も失はざるなり。

七十四章

七十四章

民不畏死,奈何以死惧之?若使常畏死,而为奇者,吾执得而杀之,熟敢?常有司杀者杀。夫代司杀者杀,是谓代大匠斲。夫代大匠斲,希有不伤其手。

民死を畏れざれば、奈何してか、死を以てこれを懼さんや。若し民をして常に死を畏れしめ、而して奇をなす者を、吾執つて殺すことを得ば、孰か敢てせんや。常に殺を司るものありて殺す。それ殺を司どるものに代つて殺すことを、これを大匠に代つて斲ると謂ふなり。それ大匠に代つて斲るものは、手を傷らざることあること希し。

七十五章

七十五章

民之饥,以其上食税之多,是以饥。民之难治,以其上有为,是以难治。人之轻死,以其生生之厚,是以轻死。夫唯无以生为者,是贤于贵生。

民の饑ゆるは、その上の稅を食むことの多きを以て、是を以て饑ゆるなり。民の治め難きは、その上の爲すことあるを以て、是を以て治め難きなり。民の死を輕んずるは、その生を求むることの厚きを以て、是を以て死を輕んずなり。それ惟生を以て爲すこと無きものは、これ生を貴ぶより賢れり。

七十六章

七十六章

人生之柔弱,其死坚强。万物草木生之柔脆,其死枯槁。故坚强者死之徒,柔弱者生之徒。是以兵强则不胜,木强则共。故坚强处下,柔弱处上。

人の生まるるや柔弱󠄃にして、その死するや堅强なり。萬物草木の生ずるや柔脆にして、その死するや枯槁す。故に、堅强なるものは、死の徒にして、柔弱󠄃なるものは、生の徒なり。是を以て、兵强ければ則ち勝たず。木强ければ則ち共せらる。强大は下に處り、柔弱󠄃は上に處るなり。

七十七章

七十七章

天之道,其犹张弓!高者抑之,下者举之,有余者损之,不足者与之。天之道,损有余而补不足;人道则不然,损不足,奉有余。熟能有余以奉天下?其唯有道者。是以圣人为而不恃,功成不处,斯不见贤。

天の道は、それ猶󠄄ほ弓を張るが如きか。高きものはこれを抑へ、下きものはこれを擧げて、餘りあるものはこれを損じ、足らざるものはこれを補ふなり。天の道は、餘りあるを損じて、而も足ざるを補ふも、人の道は、則ち然らず。足らざるを損じて、以て餘りあるに奉ずるなり。孰か能く餘りありて、以て天下に奉ぜんや。ただ有道者なり。是を以て、聖人は爲すも恃まず。功成るも處らず。そは賢を見すこと欲せざるなり。

七十八章

七十八章

天下柔弱莫过于水,而攻坚;强莫之能先。其无以易之。故弱胜强,柔胜刚,天下莫能知,莫能行。故圣人云:‘受国之垢,是谓社稷主;受国不祥,是谓天下王。’正言若反。

天下の柔弱󠄃は、水に過ぐるはなし。而して堅强を攻むるものにして、これに能く勝ることなきは、その以てこれに易ふることなきを以てなり。弱󠄃の强に勝ち、柔の剛に勝つことは、天下に知らざる(もの)なきも、能く行ふ(もの)なし。故に、聖人は云へり、國の垢を受くる、これを社󠄃稷の主と謂ひ、國の不祥󠄃を受くる、これを天下の王と謂ふと。正言は反するがごとし。

七十九章

七十九章

和大怨,必有余怨,安可以为善?是以圣人执左契,不责于人。故有德司契,无德司彻。天道无亲,常与善人。

大怨を和するも、必ず餘怨あり。安んぞ以て善となすべけんや。是を以て、聖人は左契を執つて、而も人を責めず。有德は契を司どり、〔ママ〕無德は徹を司どる。天道には親なし。常に善人に與す。

八十章

八十章

小国寡人,使有什伯之器而不用,使人重死而不远徙。虽有舟轝,无所乘之;虽有甲兵,无所陈之。使民复结绳而用之。甘其食,美其服,安其居,乐其俗,邻国相望,鸡狗之声相闻,民至老死,不相往来。

小國にして寡民。什伯の器󠄃あるも、而も用ひざらしめ、民をして死を重んじて、而も遠く徙らず、舟轝有りと雖も、これに乘る所なく、甲兵ありと雖も、これを陳する所なからしめ、民をして復繩を結びて、これを用ひ、その食を甘しとし、その服を美なりとし、その居に安しとし、その俗を樂しみとし、鄰國相望み、雞狗の聲相聞こゆるも、民は老死に至るまで相往來せざらしめん。

八十一章

八十一章

信言不美,美言不信。善者不辩,辩者不善。知者不博,博者不知。
圣人不积,既以为人己愈有,既以与人己愈多。天之道,利而不害。圣人之道,为而不争。

信言は美ならず。美言は信ならず。善者󠄃は辯ならず。辯者󠄃は善ならず。知者󠄃は博󠄄からず。博󠄄き者󠄃は知らず。聖人は積まず。旣く以て人のためにして、己はいよいよ有す。旣く以て人に與へて、己はいよいよ多し。天の道は、利して害せず。聖人の道は、爲して爭はざるなり。